[印刷モード]
大佐山田方谷記念館
2007年2月22日

幕末の陽明学者、藩政改革者、また教育者として活躍した山田方谷の偉業を讃え、後世に永く伝えるため、山田方谷の生き方「誠実、勤勉、清貧、謙譲などの心」にふさわしい施設として設置され親しまれています。

大佐山田方谷記念館 ○山田方谷

山田方谷は、文化2年(1805)備中松山藩西方村(現高梁市中井町)に生まれ、幼い頃から神童と呼ばれた。嘉永2年(1849)松山藩主板倉勝静から元締役兼吟味役(藩の財務大臣)に任命された。当時の松山藩の財政は非常に窮乏しており、約10万両の借財があったがこれをわずか8年で完済し、さらに10万両の蓄財を行った。また、教育にも力を入れるとともに、閑谷学校再興にも尽力した。山田方谷は、明治3年(1870)母「梶」の出生地である小阪部(現新見市大佐小阪部)に移寓し小阪部塾を開塾し教育に力を注ぎ、明治10年(1877)73歳でこの世を去った。

大佐山田方谷記念館

○大佐山田方谷記念館

大佐山田方谷記念館には、山田方谷の人となり、財政改革の手法、教育者としての山田方谷、年表などのグラフィックパネル、方谷山田先生遺蹟碑拓本複製、ビデオコーナー(10分、20分)、山田方谷が書いたとされる大政奉還上奏文の草案、書などが展示されている。また、山田方谷に関する研究参考図書の展示販売も行っている。 

☆入館料  200円
☆休館日  毎週月曜日、火曜日   開館時間  午前10時から午後4時
◆問い合わせ先  大佐山田方谷記念館 電話 0867−98−4059
                           住所 岡山県新見市大佐小南323−3

大佐山田方谷記念館 ○方谷庵

明治3年(1870)山田方谷66歳の時小阪部(現新見市大佐)に移寓し、母の実家西谷家の墓地がある金剛寺(現新見市大佐小南)の境内に小庵継志祠堂を建て、外祖父母の霊を祠った。方谷は、毎月何回かこの継志祠堂にお参りして瞑想にふけっていたそうである。方谷はこの継志祠堂を「方谷庵」と命名した。なお、方谷庵は、昭和40年2月24日岡山県指定文化財史跡に指定されている。

大佐山田方谷記念館 ○方谷園

明治3年(1870)山田方谷66歳の時小阪部(現新見市大佐)に移寓し小阪部塾を開いた。その当時、塾生は約300人。県内はもとより、播磨(兵庫県)、京都、伊勢、尾張(愛知県西部)、越前(福井県東部)、武蔵(東京都、埼玉県)等々全国各地から方谷の名声をしたって小阪部塾を訪れた。方谷園は、小阪部塾の跡地を整備し公園としたものであり、園内には、「方谷山田先生遺蹟碑」が建っている。
大佐山田方谷記念館

○方谷山田先生遺蹟碑

方谷山田先生遺蹟碑は、73歳を一期として小阪部塾で息をひきとった枕辺の地点に建てられている。遺蹟碑正面の題字は勝海舟の揮毫であり、側面の撰文は方谷の高弟であった三島中洲が、書は明治三筆の一人で貴族院議員の金井之恭が、刻字は、倉敷の名石工藤田市太郎である。なお、遺蹟碑の形は上になるほど細くなり、先端がピラミッド形になっている。このような形をした石柱を「オベリスク」という。