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方谷さんを大河ドラマに!




 山田方谷は、1805(文化2)年に備中松山藩(現在の岡山県高梁市)に生まれました。5歳になると、新見藩の儒学者である丸川松隠に学び、その後、25歳の若さで備中松山藩の藩校「有終館」の会頭(先生)、32歳で学頭(校長)を命ぜられました。

 1849(嘉永2)年には、備中松山藩主・板倉勝静から元締役兼吟味役(※)を任され、藩の財政改革に着手しました。「贅沢や不正を禁止」、「負債整理」、「産業振興」、「藩札刷新」、「士民撫育」、「文武奨励」といった改革を次々と行い、10万両(現在の貨幣価値にして約300億円)もの借金を抱えて財政破綻寸前だった藩を、わずか8年で立て直しただけでなく、その上に余財10万両を残しました。

 また、教育者としても知られ、1868(慶応4)年に藩政を退いてからは、現在のJR方谷駅近くに「長瀬塾」を、1870(明治3)年には新見市大佐小阪部に移住して「小阪部塾」を開き、多くの優秀な人材を育成しました。

 その後、1877(明治10)年に、73歳でその生涯を終えました。


※元締役:現在の財務大臣、官房長官に近い役職
 吟味役:法務大臣、最高裁・警察庁長官のような役職


市内関連施設は、下記リンクをご覧ください。
新見市公式観光サイトえ~とこ新見「山田方谷記念館」

 

大河ドラマ化に向けた取組

 山田方谷の改革理念や生き方を全国的に周知するために、平成24年9月26日、「方谷さんを広める会」が中心となって「雲中の飛龍 山田方谷」NHK大河ドラマ実現を求める全国100万人署名運動実行委員会を組織しました。以降、岡山県内外の企業・団体・個人などに署名を募り、令和元年9月に目標となる100万人の署名を達成しました。

 本市においても、山田方谷の大河ドラマ化の実現に向けて、PR活動に取り組んでいます。
 

【令和3年9月29日】
大佐山入口付近の県道沿いに、山田方谷記念館の看板を設置しました。


 

【令和3年9月25日】
JR岡山駅東口において、大河ドラマ化の実現に向けて、関係者一同でPR活動を行いました。






【令和3年9月24日】
大河ドラマ化に向けた機運の醸成を図るために、JR新見駅前の昭和橋や市役所本庁舎入口などに「のぼり」を設置しました。






【令和3年7月2日】
JR新見駅構内および市内図書館・図書コーナーへ、PRコーナーを設置しました。

※新見駅構内のPRコーナーについては、9月1日に撤去済



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総務部 総合政策課
電話 0867-72-6114  

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